[19]


「お前最近俺を避けているよな?」

 飯島先輩にしてはかなり低い声で俺を睨みながら訊いてくるもんだから、思わず視線を逸らしてしまう。

「そ、そんな事は無いと思い、ます、けど……」

「嘘付けよ。なら何故視線を逸らす」

「いっひゃぁ〜い!」

 恐る恐る言った俺の頬を容赦なく捩じりながら、更に低い声で訊いてくる飯島先輩。

 けど、こんな事されたら益々喋れないって。

 つか、なんでこの人俺にはこんなに意地悪なの?

 保君にはあんなに優しいのにさ。

 何だか涙が出てきたのは、頬っぺたを抓られて、痛い所為だよね?

「お前……。泣いてんのか?」

 飯島先輩が吃驚した様に俺の頬っぺたから手を離す。

「あんたが俺の頬っぺたを思いっきり抓るからじゃないかっ!」

「あんただぁ〜〜〜?」

 怒鳴った俺に飯島先輩の口角の片端が持ち上がる。その表情は悪魔の様だ。

 こっえぇ〜〜〜。

 飯島先輩を押し退けて逃げ様としたら、右腕の上腕を思いっきり掴まれて引っ張られた。

「何す―――」

“何すんだよ!”と、怒鳴る筈の言葉は、頭の上に振ってきたタオルで遮られた。

「ったく、11月に頭から水被る奴が居るかよ。いくら莫迦でも風邪引くぞ」

 そう言って飯島先輩が俺の頭を優しくタオルで拭いてくれる。

 タオルからはグレープフルーツの様な良い香りがした。

 飯島先輩から何時もする香り。

 飯島先輩に憧れてる同じ陸上部の1年が、この間部室で自慢してた。




『これ、飯島先輩と同じ香水なんだぜ』




 でも不思議なんだけど、そいつから“先輩の香り”はしない。

 同じ香水を着けてる筈なのに、先輩の方がずっと、ずっと、良い香りなんだ。

 この間この香りに全身が包まれて……。

 その時の事を思い出したら、何故か身体がカァっと熱くなった様な気がした。

 心臓はこの間みたいにドキドキと煩くて、口から訳の判らない悲鳴が飛び出しそうになる。

 悲鳴が飛び出さなかったのは、校内放送に邪魔された所為だ。

[2年3組。飯島賢。校内に居るなら職員室に来なさい]

 あの横柄な物言いはオニガワラだ。

「なんだぁ〜?」

 飯島先輩も当然オニガワラからの呼び出しだと気付いているのか、何時もの愛想笑いは何処へやら(俺にはした事ないけど)眉間に皺を入れて口をへの字にした。

 そして俺に、

「ちゃんと頭拭けよ」

 と言って、職員室に向って行った。

 急に無くなった俺の頭の上にあった温もり。

 その瞬間に感じた感情は何なのか、勿論俺には判らなかった。


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